2015年09月24日

と思わないか

 ふわりと高く飛びはね、ふわりと地面におり立ち、ふたたび飛びはねる。そんな夢を殿さまは見ている。|天《てん》|狗《ぐ》の術を身につけたようだなと思いながら、あちこち飛びまわりつ

づける。そのうち、いつしか霧のなかへと迷いこむ。霧のなかで飛びはねるのも、ま
た面白い。景色がまるで見えないので、ちょうどからだが宙に浮いたままのようだ。ふわふわと白さのなかをただよいつづけている。しかし、不意に不安に耳鼻喉科診所襲われる。さっきから地面をけっていな

い。地面がなくなったのか。まさか、そんなことが。いい気になって霧のなかを進み
すぎ、がけのあることに気がつかなかったのか。限りなく落ちてゆく。支えのなくなった恐怖。落ちる、落ちる。ああ……。
 その驚きで、殿さまは目ざめる。朝の六時。夏だったら六時の起床が慣例だが、冬は七時となっている。まだ一時間ほど寝床にいられる。そばに時計があるわけでもないのだが、なんとなくそれ

がわかるのだ。寒い。敷ぶとん三枚、かけぶとん二枚。しかし、ここは北国。きびし
い寒さはいたるところにあるのだ。殿さまは足をのばし、湯たんぽをさぐる。陶器製のにお湯を入れたもので、かすかにぬくもりが残っている。あたりはほのかに明るい。そとは晴天で、うすくつ

もった雪に東の空の明るさが反映しているのだろう。きょうも寒い一日となりそうだ

 ここは城のなかの奥御殿。つまり殿さまの私邸。奥御殿と呼ぶ一画のなかには女たちばかりのいる|中奥《ちゅうおく》の|棟《むね》もあるが、ここはそうでないほうの寝室。一日おきに、こ

こへとまるのとむこうへとまるのとを、くりかえす萬聖節化妝派對ことにしている。べつに意味も理
由もないのだが、いつのまにかそんな慣習ができてしまったのだ。
 殿さまはかすかに目を開いて、つぎの間を見る。あいだのふすまはあけっぱなし。そのむこうに小姓が二人すわっている。いずれも三十歳ぐらいの家臣、不寝番だ。わたしが寝ているあいだ、彼

らは起きてすわりつづけ。わたしは夜ねるのが仕事、彼らは夜おきているのが仕事。
そういうことになっているのだ。彼らの前には、わたしの刀が布の上にのせておいてある。もし不意の侵入者があれば、彼らはわたしを起して刀を差し出し、同時に侵入者と戦うことになっている

。この泰平の時代にそんなことが起るとは思えないが、絶無とも断言はできない。だ
からこそ、彼らはそこにいなければならないのだ。
 あの小姓たち、わたしがぐっすり眠っている夜中に、わたしの刀をそっと抜いてみたいな。思わないだろうな。ひとりだったらそんな気にならないとも限らないだろうが、つねに二

人一組ときまっている。冗談にせよ、そんな提案をしたら、もうひとりにとっちめら
れる。そして|禄《ろく》を召しあげられ、家族は食っていけなくなる。わかりきったことだ。だから、そんなばかげたことの頭に浮ぶわけがない。
 武士は罪三族におよぶのが原則。なにかしでかしたら、当人はもちろん、少なくともその息子も処罰される。だから、身のまわりの世話をする小姓の役は、妻子のある家臣に限るのだ。元服前の

感情の不安定な少年などに任せるわけにはいかない。異性がわりに美少年を連れて出
陣した戦国時代とはちがうのだ。


Posted by 淺笑嫣然 at 12:28│Comments(0)
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